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ランデスフートの戦い (1760年) : ウィキペディア日本語版 | ランデスフートの戦い (1760年)[らんですふーとのたたかい]
ランデスフートの戦い(独:Schlacht bei Landeshut)は七年戦争(1756年-1763年)中の1760年6月23日に行われ、ハインリヒ・アウグスト・ドゥ・ラ・モット・フーケ〔Duffy: ''Friedrich der Große und seine Armee.'' P. 292。〕中将率いる12,000名のプロイセン軍が、エルンスト・ギデオン・フォン・ラウドン大将指揮下のオーストリア(ハプスブルク君主国)軍に大敗を喫した戦闘である。 == 背景 == 1759年にクーネルスドルフ、カイとマクセンで大損害を被った後、プロイセン側の野戦軍の兵力は125,000名から、100,000名を数えるのみまでに減っていた。フリードリヒ大王は1759年から1760年にかけての冬を、打ちのめされ、士気を失った軍勢の回復に利用した。再び110,000名の兵力を結集し、士気を立て直したのである〔Christopher Duffy: ''Friedrich der Große - Die Biografie.'' P. 283。〕 。 そして年初には、あらゆる逆境にも関わらずプロイセン野戦軍110,000名の作戦準備が整い、フリードリヒ大王はこれをもってその年の遠征を企図する。この内およそ15,000名の兵はシュレージエンで、王太子の頃からフリードリヒ大王と親交のあったハインリヒ・アウグスト・ドゥ・ラ・モット・フーケ中将の指揮下に配されていた。この集団は、防備を固めたランデスフートの町の周辺でシュレージエンからザクセンへの経路を監視する事が可能であり、フリードリヒ大王率いるプロイセン軍主力と、シュレージエンおよびオーデル川に展開するプロイセン公子ハインリヒの軍勢との連絡線を確保していた〔Christopher Duffy: ''Friedrich der Große - Die Biografie.'' P. 276以降。〕。
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